2009年2月9日 星期一

野銀十人舟 大船下水 (七)  部落即景



每一位達悟的老人家都是國寶
如果您可以傾聽他們的海洋生命哲學
在一生中一定受用無窮




漫長的等候





你走你的陽關道,我過我的獨木橋.





新生參與盛會



平日靜謐的古老社區,白日裡雞犬相聞,難得湧入大批親友來訪,

後方現代屋舍則是充斥著來來去去的觀光客,夜夜歌舞昇平

在同樣的碧海藍天下,是兩個截然不同的世界





聞香而來,偷偷笑著的小黃



見者有份,先吃一口





全蘭嶼最後一塊聖地(剩地:剩下來的集合式傳統屋舍)









相片中的主人,請給我信箱,

上傳在涼台屋頂打瞌睡的相片給您們



就算再累,再想睡,也要強打精神撐到最後一刻



中情局的臥底



馬讓們,秀出結實的肌肉



中間拿攝影機的人,最後因不付費而被追趕(擅入管制區還自以為是,真是夠了!!)



為了讓大家high一下,犧牲演出



以上短片由神仙魚拍攝



最棒的包廂座位





隨著太陽移動的腳步,祭典的高潮就要來臨,

海邊洶湧的浪花,也因為正逢退潮而力道漸緩,

您做好心理準備了嗎?

Coming up next is our time for the" 蠻阿威 "





深入閱讀:日本財團圖書館 大船下水相關文獻及相片  自然與文化75號

三、ヤミ族社会における重要性
 彫刻を施した大小の舟の進水式や新しい母屋、作業場の落成式の前日、ミヴァライ・ア・タオは人を遣わして各村へ親族、姻戚や友人を招待する。招待を受けた祝賀の客は、式典当日午後の歌会に参加する。((6))ミヴァライ・ア・タオとその部落へ赴く客は、銀の甲(ない者は礼帽tavaos(タバオス)を冠っても良い)短い袖無し上着、褌、∞字型金板の胸飾りなどを大きな藤製の籠orisan(オリサン)に入れ、藤籠を紐で縛って額に掛けて背負い、長刀pararoway(ペラロワイ)を携えミヴァライ・ア・タオの部落へと向かう。親友に贈り物をしようとするなら、煮た水芋、乾した飛魚又は豚肉などを別の小さな藤籠pivaonan a manpoi(ピヴァオナン ア マンポイ)に入れ、祝賀の客の家族が背負い行く。祝賀の客が礼主の部落に着くと、まず宿を借りる自分の親友の家で暫し休息する。そして、持ち寄った進物を親友に分け与える。それから盛装に着替え∞字型金板の胸飾りを付け、銀の甲を冠り、長刀を携えて定められた場所に集まっている各部族の祝賀の客のもとへと向かう。一般的には銀の甲、∞字型金板の胸飾りを持たぬ祝賀客は、太陽が西に沈む頃、ミヴァライ・ア・タオの家に着く。これをmay do maseirem a pinatoyon(マイ ド マシャルンム ア ピナトヨン)という。祝賀客は、ミヴァライ・ア・タオの家で夕食を取った後、ミヴァライ・ア・タオが晩に行う歌会(miyanowanohod do maop(ミアノアノウッル ド マウップ))のみに参加し、明け方まで歌う。しかし、銀の甲がなく、∞字型金板の胸飾りを付けている祝賀客は午後の minikanikat(ミニニカット)の歌会に参加する者もいる。
 時刻になると、礼主は祝賀の客が集まる所へ青年を使いに出し、客を迎え礼主の家へ向かう。この時、祝賀の客の最年長者が銀の甲を冠り、長刀を携え、先頭に立ち、他の者は長幼の序列に従い、その後に付いていくのである。一方ミヴァライ・ア・タオの方も盛装に身を固め、銀の甲を冠り、前庭にて祝賀の客を迎えるのである。そして、ミヴァライ・ア・タオが祝賀の客一人一人に互いに鼻を付け合う miyadkan(ミヤルカン)という礼式を行う。((5))礼式が終了すると、祝賀の客とミヴァライ・ア・タオは全員座り、祝賀の客の最年長者よりミヴァライ・ア・タオとの間で互いに歌の掛け合いが始まるのである。時には銀の甲を冠っていない年長者がいることもあるが、その場合は「忝けなくも(かたじけなくも)年長となる。然れども銀の甲を所持しおらず。正に慙愧(ざんき)の至りなり。我より若き銀の甲を冠りおる者先に歌われたし。」と述べる。若い者は「何卒お構い召されるな。銀の甲を冠らずといえども、礼譲は厚くすべし。お先に歌われたし。」と答える。このような状況下で、ある時は礼譲された銀の甲を冠っていない年長者が先に歌うこととなったり、あるいは銀の甲を冠る若い者から歌うこともある。しかしながら、中には謙虚さを欠く若者もいて、銀の甲を冠っていない年長者を見ると、断りもなく勝手に歌い出したりする。祝賀の客が歌い終わると、銀の甲を取り、地面に置くのである。
 この他、夜を徹して行われた歌会は、前庭に敷かれている石が見える夜が明ける時(mikayatovato(ミカヴァトヴァト)に終了。ミヴァライ・ア・タオは先ず招待した他村の客に朝食を振る舞う。それから招待した他村の客及び同村の人々に、茎が付いている礼芋を三つずつ分け与える。礼芋三つの分配が終わると、陳列している礼芋を全て卸して、予め計算した他村の客数及び同村の人に分配する人数に合わせて、均等に水芋を分配して前庭におく。その後他村の祝賀客と同村の人々はめいめいその水芋を取りに行くのである。次に豚肉または山羊肉を細かく切り分け、水芋同様に他村の祝賀客及び同村の人々に分け与える礼肉(tekeh(トゥクワー))とする。一方つぶした肉の一部は直ちに茄で上げ、五片の肉が、同じく茄で上げた水芋と共に、銀の甲を冠り或いは∞字型金板の胸飾りをつけて、昨日の午後のminikanikat歌会に出席した他村の祝賀客に、昼食のお菜として振る舞われる。昼食の分配が終わると、礼肉tekehを祝賀客と同村の人々に分け与える。
 しかし、午後のminikanikatの歌会に参加しなかった者には昼食を全く振る舞われないのである。以上のことから、部族の礼式に参加する際には、銀の甲と∞文字型金板の胸飾りが儀式上極めて重要な位置を占めていることが見て取れるのである。
 
(5)
    
イラタイ村の大きい銀の甲を冠ったsiyapen awomaが舟の進水儀式に招かれ、礼主ミヴァライ・ア・タオのイモロッド村のsiyapen jyavokahawと鼻をすりあわせる挨拶を行っている
 


深入閱讀:日本財團圖書館 落成禮儀的準備

落成儀礼の準備
 七月下旬筆者が再訪した時、新造船はすでに完成し、進水の時を待つばかりとなっていた。ヤミ族が 船に施す伝統的なモチーフである「精霊」や「船の目」の彫刻が船体を飾っている。この目には、航海の際に迷わないように導くという意味がある。彫刻の上 に、白を基調に赤と黒の三色が鮮やかに彩色を施されている。ヤミ族の船は見目麗しい。落成儀礼では、この船が波になびく小船のごとく胴上げされる。儀礼を 目前に控え、船主一家が準備に追われていた。女たちは、船を飾り客に振舞うタロイモの取り入れをする。男たちは、招待客の数の確認や供犠する豚の最終準備 に余念がない。造船を支えた村人たちは、儀礼準備にも積極的に力を貸す。台湾で働く者たちもぞくぞくと帰郷していた。儀礼には、集落の男たちがこぞって参 加するのだ。
 二七日、儀礼当日の朝、男たちは総出で船主宅の収納庫からタロイモを運び出していく。収納庫に一 杯に集められたイモの量は、財力の象徴である。タロイモの育成は女の役割だ。妻のいない者、水田の多くない者には落成儀礼の開催は困難といえる。水田で作 られる蘭嶼のタロイモは、船を飾るにふさわしい大きさになるのに三年を要する。儀礼の際の大盤振舞に十分な量を用意するのは地道な大仕事だ。イモは船のな かへ運びこまれ、船底が見る間に埋め尽くされていく。船を飾る大量のイモは飛魚の豊漁に、豚は大きな魚になぞらえる。船にたてた竿に茎付きの見事なイモが 飾り付けられ、完成された船を引き立てる。船主宅脇に臨時に作られた棚の中には、三六頭もの豚が押し込められている。儀礼や祝事に備え、各世帯が飼育する 豚の頭数は一般的に一頭から五頭程度だ。シャプン・Nによると、本人が用意したのは五頭だという。他の船主の用意分と子供や友人、教会からの寄贈を合わせ てブタ三六頭、山羊二頭になった。チヌリクランの儀礼では、乗組員一人が一頭饗するのが通例であった。対岸の台東へ電話一本で豚を注文できる昨今は、供犠 される頭数は増大している。狭い棚のなか、炎天下の暑さとひもじさに轟かす豚の声が異様に響き渡る。準備は整った。いよいよ儀礼の開始である。
 
タロイモで飾り付けられたチヌリクラン
 
儀礼初日
 
頭には銀兜、胴着、褌を着用し盛装して訪れる接待客
 
歓迎の歌ラオッドを歌う主催者
 
主催者宅前で開かれる歌会、ミ・ラオッド
 
 午後三時すぎ、招待客がやってくる。年長者を先頭に、海岸から一列になり船の設置場所へ向かう。 ヤミ族男性の盛装、胴着と褌を着用している。頭には銀兜、首に金の飾りをつけ、手には魔よけの木刀を携えている。金銀を産しないこの島で銀兜や金の装飾品 は貴重で、父から息子へと相続される財産だ。日本領有時期には、日本人から得た銀貨を熨して、この兜が作られたという。今はアルミでの代替や、また兜の省 略も少なくない。儀礼前日、主催者の代表者が各集落を訪ね歩き、親戚友人を招待する。船主は八人であるが、二家族による所有であり実質的な主催者は二人で ある。それぞれが親戚や友人を招待する。イラタイ集落だけで三〇名以上が招待を受けたというから、招待者は全体で二〇〇人にはなるだろう。
 主催者二人は、新造船脇で客の一人一人と挨拶を交わす。歓迎の挨拶に、鼻と鼻とつける風習がある が、この日は握手が交わされる。客人らが着席すると、歌会の始まりだ。主催の二人が、客を迎える歌を朗々と歌い始める。ラオッドと言われる歌謡で、人に聞 かせるべく歌われるものだ。遠路はるばる訪れた客に感謝し、用意されたタロイモの少ないことを恥じる内容だ。もちろんタロイモは山と積まれている。ヤミ族 の語りは謙遜を旨とする。彼らを取り囲む雑然とした見物人たちも、その荘厳な響きに静まりかえる。主催者に続き、招待客の長老による返歌がある。この歓迎 の式が済むと、客は招待先の主催者宅前へと二手に分かれ、翌朝まで続く即興による歌の掛け合い、ミ・ラオッドへと移行する。主催者中心に円陣がくまれ、主 催者を近くに座す長老や近親者から歌う。輪の中にいるのは五〇歳は超えているかとみえる男たちだ。円陣の周りを青年たちや見物人が取り囲む。ヤミ族の歌会 は経験の浅い若年者の参加を許さない。主催者が歌い、客の誰かが応えるという掛け合いが続く。主催者は造船時の苦労話、過去の豊漁の経験談などを語り歌 う。客は以下の内容を歌にする。過去に主催者が建造した船の優れていたこと回顧し、新船がそれ以上に豊漁をもたらすであろうことなどである。賞賛の歌では あるが、誉めすぎは、主催者の運勢を下げることにつながる。客は誉めすぎないよう配慮を忘れない。休憩になると、招待客らは村内の親戚知人宅で夕食をと る。主は客を船へと誘い、タロイモの量や種類、豚の頭数について解説する。数種類あるタロイモのうち「神様のイモ」という意味のオビノ・タラックは人々の 注目を集める。休憩後、屋内で歌会が再開される。軽装に着替えた人々は、ビンロウを噛みタバコをふかしながら臨む。古老によれば、夜九時頃からがミ・ラ オッドの本番なのだという。

自然與文化75號  紅頭嶼專刊總目次,對蘭嶼有興趣的朋友,切勿錯過!! 










野 銀十人舟 大船下水 (一) 搬禮芋



野 銀十人舟 大船下水 (二) 迎賓



野 銀十人舟 大船下水 (三) 分配禮芋



野 銀十人舟 大船下水 (四) 殺豬



野 銀十人舟 大船下水 (五)  逃 殺 片 段



野 銀十人舟 大船下水 (六) 勤奮不懈的凱傑



野 銀十人舟 大船下水 (六) 禮肉分享



野 銀十人舟 大船下水 (七)  部落即景



野 銀十人舟 大船下水 (八)  領唱祝福歌



野 銀十人舟 大船下水 (九)  Manhawey (蠻阿威)



野 銀十人舟 大船下水 (十)  拋船



野 銀十人舟 大船下水 (十一)  拋船影片



野 銀十人舟 大船下水 (十二) 大船下水



野 銀十人舟 大船下水 (十三) 遁入記憶之中



12 則留言:

  1. 哇 ~~這麼多人在拍照 !
    看樣子小張這次去也拍了不少照片回來唷!
    祝你元宵節快樂!
    有沒有去看蜂炮? ;)

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    1. 蜂炮....哎呀!
      昨晚發生民宅火警了,
      大家最不願意看到的災害.
      不禁深思,蜂炮究竟為所有鎮民帶來什麼?
      除了商業利益與鄉土性的自豪之外,
      就只是滿天的煙硝與遍地的垃圾了
      傳統的宗教意義和歷史文化,在縣政府的刻意炒作觀光之下,
      早已蕩然無存

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  2. 從第一篇看到第七篇,內心越來越澎湃,感動這樣的傳統依然持續著、更感動有人這樣詳盡著紀錄這些未來恐怕就會消逝的傳統。
    "再下一個十年,若有大舟下水,還有人會唱這些古謠嗎?"真的是一個好問題,不過好在即使年青人學不起來,但至少紀錄到了,有紀錄就有重現的可能。
    真的很感動,我覺得我分到了你給我的禮肉!

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    1. 記錄蘭嶼的人很多,但可以找到公開的資料卻少之又少,
      每回在部落遊走,都可以看到學院派的學者在訪談或者記錄數據,
      老人家在接受訪問後,等學者走了,都會抱怨他們或臭罵,
      老是把部落的東西帶走,卻不見他們把成果分送一份給部落保存.
      因此有時候,對一些比較市儈沒有交情的研究人,老人家就會說:要訪問就付費用!!
      我想,除了經濟上的需求,那也是一種不信任吧.
       
      六個部落分散在小島上,在習俗上每個部落各自有各自的差異性,
      這也造就了小島上的豐富人文,
      西邊的浪大,東邊的浪就平,望著天空和海浪來決定日常的工作
      和生活息息相關的習俗,在自然環境中會慢慢因時間而產生不同的規則習慣,
      千百年來的習慣,成了最後的禁忌(老人家口中的迷信).
      這些古代就留傳下來的社會秩序法則,規範了族人的所有日常生活.
      種種迷人的元素,加上千變萬化的海洋風情,
      讓懂得達悟生活的人們,再怎麼也忘不了與海洋共生共榮的那種美感.
       
      真的好想花上一整年時間,去細心記錄所有的海洋生活.

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  3. 感謝精采詳細的分享
    宛如身歷其鏡

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    1. 藍山兄,謝謝您的指教!!
      在貼相片的同時,其實我也再一次感動.
      有時在現場捕捉瞬間時,是無意識的憑直覺按快門.
      這些1/250秒間的記錄,就只有利用事後整理相片時.
      才能細細品嚐當時的氣氛與心情.

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  4. 台灣的傳統文化
    要藉由外國學者的文字來輔助了解
    有些悲哀

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    1. 報告四娘,達悟的文化,可不是台灣的傳統文化.
      在那裡是屬南島語系的口訴歷史.
      一代一代用語言把傳統交接下來.
      現在的年青人大都無法留在小島上求生存了,
      您要他們老人家如何交接經驗,傳承歷史呢?

      六個部落有各自不同的文化,
      台灣的學者去了,大多只是做片段的採樣,來去匆匆,
      比起以前日本時代所做的鉅細彌遺調查,真的差太多了.
      當年日本佔據台灣,就把蘭嶼定位為歷史保留區,不去刻意打擾他們的傳統生活.
      那時很多民族學與生物學的學者,都上島調查,留下相當多珍貴的文件.及相片.

      後來歸還國民黨政府,醜劣的政權自私的把監獄設在島上.
      犯人長期侵犯達悟人,政府也不管.
      林務局一聲令下,族人的山地田地一夕間成為國有,
      最後,還說地下屋太落後,會被中共拿去做為政治攻擊的指標,
      於是大手筆蓋了海沙屋,強制拆除破壞了六個部落中的傳統聚落.
      很多老人見到祖先留下的百年老屋被怪手拆了,
      很快就死了,死於羞愧及憤怒.

      最後,還把沒有人要的核廢料擺在小島之南.

      很多老人家,心中懷念日本時代的生活,
      那時雖然清苦,卻是一個自給自足的天堂.
      那時雖然要被日本人奴役,但身心仍屬健康.
      自從台灣人來了之後,帶來的是無法彌補的傷害.
      不但改變了小島,也改變了年輕一代的價值觀.
      經濟活動,破壞了沒有貨幣制的單純生活.
      早期進住的台灣人,更是用金錢來誘惑,盜賣文物賺取暴利.
      (有些假學者,也利用這個管道,把島上文物佔為己有或者販賣國外)
      也把煙酒輸入,販賣給純真的民族.(原本沒有煙酒)

      台灣來的漁船用大型拖網及各種方式,略奪海洋民族的傳統漁場.
      台灣來的一日遊遊客團,用大老闆看動物園的心態來看待這些朋友,
      (早年的觀光客,更是用丟糖果丟錢的方式,來對待這個民族)
      走的時候留下垃圾,帶走百合花及海芙蓉.(現在仍可見到類似的破壞)
      直到現在醫療,教育,文化,甚至一般生活日品,都要花更多的錢,
      才能得到台灣的水平

      這些才是真正的民族悲哀啊.

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  5. 請原諒我對歷史無知
    我想表達的  就只是我們對文化傳統的不尊重
    希望您的努力能使您所關愛的文化得到更多的重視
    加油  @};-

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  6. 很棒的文化記錄!

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    1. 對我的人生而言,是一個很好的經驗

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